2009年07月04日

女性は胎児期から

女性は胎児期から、卵巣の中に原始卵胞を持っている。平均して12?13歳で初経が起こり(当初は無排卵月経であることが多い)、その約1?2年後から、原始卵胞は毎周期いくつか発達を始め、そのうち成熟の最終段階に至った1個が卵巣から排出されるようになる。この成熟卵子の排出を「排卵」という。排卵された卵子は卵管の先端(膨大部)に拾われる。

毎期の月経開始とともに、卵巣内では次の排卵に向けた卵胞の発育が始まり、一方の子宮では月経終了後に再び着床のための子宮内膜を用意して排卵を待つ。個人差はあるが、一般に28日前後を1周期として、排卵が起こる。(⇒卵胞形成)

排出された卵子に精子が到達して卵管膨大部で「受精」が起こる。受精した卵を「受精卵」と呼ぶ。卵子は一旦受精すると、それ以外の精子は受け付けない。
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多胎妊娠
稀に、一卵性双胎、二卵性双胎が生まれる(⇒双生児)。現在は体外授精などの不妊治療により、三つ子(三胎)、四つ子(四胎)が生まれることもある(⇒多胎児)。Hellinの法則によるとn胎の発生する確率は89のn-1乗に1例である[1]。多胎妊娠は妊娠経過中に多々の合併症を生じることも多く、出生予後も単胎に比べると良くない。そのため体外受精の時に子宮内に戻される受精卵の数は3個までと日本産科婦人科学会によって会告で通達されている。
排卵後に受精しなかった卵子は約24時間で寿命が尽きてやがて消滅し、妊娠準備のために肥大していた子宮内膜は排卵から14日前後に経血として体外へ排出される(⇒「月経」)。

2009年06月14日

沸点320℃以上の蒸留で船舶のエンジンなどに

沸点320℃以上の蒸留で船舶のエンジンなどに用いられる重油が精製される。これらの石油製品は常温で液体である。


残油 [編集]
常圧蒸留で蒸留できない残油は、減圧蒸留(真空蒸留)する。潤滑油と半固体の油脂(ワセリンを含む)は、炭素数16から炭素数20の範囲である。

炭素数20以上の鎖状炭化水素は固体であり、パラフィンワックスを皮切りに、タール、アスファルトの順である。


常圧蒸留留分の名称と沸点(℃)を示す:

石油エーテル (petrol ether) :40 - 70℃ (溶媒用)
軽ガソリン (light petrol) :60 - 100℃ (自動車燃料)
重ガソリン (heavy petrol) :100 - 150℃ (自動車燃料)
軽ケロシン (light kerosene) :120 - 150℃ (家庭用溶媒・燃料)
ケロシン (kerosene):150 - 300℃ (ジェット燃料)
ガス油 (gas oil):250 - 350℃ (ディーゼル燃料/軽油/灯油)
潤滑油:> 300℃ (エンジン・オイル)
残留分:タール、アスファルト、残余燃料

地下から湧く燃える水の存在は、古代から各地で知られていた。産地で燃料や照明に用いた例も多い。17世紀にルーマニア産の石油が灯油用に用いられており、品質の点で他の油より良いとされていた。しかし、大量生産はずっと後のことであった。

機械掘りの油井の出現が、石油生産の一大画期をなした。エドウィン・ドレークが1859年8月にペンシルベニア州タイタスビルの近くのオイル・クリークで採掘を始めたのが世界最初と言われる。しかし、別のところでもっと早くあったとする説もある。19世紀後半には、アメリカ合衆国、ルーマニア、ロシアのコーカサス地方が石油の産地であった。
ハンドボール
ジーンズ
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フラダンス
白地図
計算化学
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年金
船舶工学
免疫学
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生活習慣病
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スクエアダンス
化学工学
ストリートダンス
地球
人形劇
生態系

1863年、ジョン・D・ロックフェラーがオハイオ州クリーブランドで石油精製業に乗り出し、1870年、スタンダード石油を設立した。

しかし、1879年に、エジソンが白熱電球を発明し、アルコールランプの需要は激減し、倒産の危機にあう。 そこへ、1876年にドイツのニコラウス・オットーがガソリンで動作する内燃機関(ガソリンエンジン)の発明を、ゴットリープ・ダイムラーが改良し、1885年にダイムラーによる特許が出される。 1885年、ドイツのカール・ベンツは、ダイムラーとは別にエンジンを改良。 運良く、次世代の石油需要(ガソリン)に転換できたのだった。

同社は、事業統合を重ね、1884年には、アメリカ合衆国全体の石油精製能力の77%、石油販売シェアは80-85%に達した。あまりに巨大化したスタンダード石油に対し、世論の反発が起き、1890年に成立したシャーマン反トラスト法により、同社は解体された。ただし、消滅したわけではなく、分割されただけである。スタンダード石油が前身となって、現在あるエクソンモービル、シェブロンなどの旧7大メジャーができた。

2009年05月29日

世界のユダヤ民や宗教的集団

世界に散らばるユダヤ教徒のコミュニティーや宗教的集団には以下がある。

イシューブ(イスラエル(パレスチナ)の地のユダヤ教徒)
ミズラヒム
北アフリカのユダヤ人(マグレビーム) Maghrebim cf.African Jews
モロッコのユダヤ人
アルジェリアのユダヤ人
フランス植民地統治下のアルジェリアでは、原住民のイスラム教徒が参政権を持たない下級市民とされたのに対し、ユダヤ教徒(セファルディム、ミズラヒム)に対してはフランスの完全市民権が付与された。このため、ユダヤ教徒はフランス本国からの入植者(コロン)と同化し、フランス語を母語とするようになり、自らをヨーロッパ人と考えるようになった。このため、アルジェリアの独立時には多くのユダヤ教徒がフランス人としてコロンとともにフランス本国に引き揚げコロンとひとまとめに「ピエ・ノワール」と呼ばれるようになった。ただし、独立以前にもフランス内地へ移住するユダヤ教徒がいなかったわけではない。これらの人々の中からはフランスで著名な歌手・俳優なども多く輩出されている。(ジダン、沢尻エリカ、クロード・ルルーシュ、エンリコ・マシアス(セファルディム)など)。
チュニジアのユダヤ人 Jews in Tunisia
ペルシア・ユダヤ人
イエメン・ユダヤ人(テイメン) Yemenite Jews
ベタ・イスラエル(ファラシャ)(エチオピアのユダヤ人)

山岳ユダヤ人(タート・ユダヤ人。ダゲスタン、アゼルバイジャン、アルメニアのタート人社会の内部)
グルジーム
ブハラ・ユダヤ人 Bukharan Jews (タジキスタンから中央アジア全土)
インドと周辺のユダヤ人 Jews in India
コーチン・ユダヤ人
クナナヤ Knanaya(キリスト教徒)
ベネ・イスラエル
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ボンベイ・ユダヤ人
バグダーディ(イラク系)
マニプール・ユダヤ人(集団改宗者)
中国のユダヤ人 Jews in China
開封市のユダヤ教徒 Kaifeng Jews [1]
ヘレニスト
ロマニオット(「ローマ人」、ユダヤ系ギリシャ人)
イタリアのユダヤ教徒 History of the Jews in Italy (北部にはアシュケナジムが多い)
ツァルファーティー(フランス系ユダヤ教徒) History of the Jews in France 消滅した世代と残留者、新しい世代(諸地域・諸国からの移民)
セファルディム
アシュケナジム
アイルランドのユダヤ人 Jews in Ireland (ツァルファーティー・セファルディムとアシュケナジム)
アバユダヤ Abayudaya
レンバ族(ジンバブエ) Lembas
サマリア人
ブラック・ジュー
ハザールのユダヤ人
カライ派
クリムチャク人
ユダヤ=キリスト教徒 Judeo-Christians
メシアニックのユダヤ教徒

2009年04月25日

オロデス2世

フラーテス3世の息子として生まれた。兄弟のミトラダテス3世と共謀して父フラーテス3世を暗殺し、その後ミトラダテス3世と共に王となったが、これはその後の内戦に繋がった。オロデスはスーレーン氏族など有力貴族の支持を得てミトラダテス3世に勝利したが、ミトラダテス3世はローマ領シリアへ逃れて再起を図り、メソポタミアに再度侵攻した。一時バビロンやセレウキアを占領されたが、スーレーン氏族出身の将軍スレナス(スレナスはスーレーンのギリシア語形であり本名は不明)の指揮の下、バビロンを包囲してミトラダテス3世を降伏させ、これを処刑した(紀元前54年)。

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一方ローマではシリアの新総督クラッススが主導して大規模なパルティア遠征軍が組織されていた。紀元前54年から始まったこの戦争は紀元前53年、カルラエの戦いによって帰趨が決した。この戦いでクラッスス率いるローマ軍は約4万の軍勢を持ってカルラエ市近郊にまで進軍した。一方スレナス率いるパルティア軍は騎兵を中心とした1万人余りの軍勢で迎え撃ちローマ軍に圧勝した。クラッススの息子プリスクスも戦死するなど大敗を喫したローマ軍は敗走する中、さらに追撃を受けて兵力の大半を喪失しクラッススも殺された。これによってパルティアはローマの脅威を一時的に排除することに成功し、またローマ領の一部を攻撃して勝利を収めた。

この戦いの後、東方で遊牧民の攻撃を受けたためにローマ侵攻は中断されたが、紀元前40年頃には、オロデス2世の長男パコルス1世の指揮で再びローマ領への侵攻が行われた。パコルス1世の活躍によりローマ軍に勝利を重ねたが、パコルス1世はアンティオキア攻略戦の際に戦死してしまった。このため王位継承問題が噴出し、オロデス2世の死後その息子達は殆どが殺される事になる。

紀元前38年にオロデス2世は死去した。パコルス1世を失った精神的衝撃から病没したとも、息子の一人フラーテス4世によって暗殺されたともいわれる。

オロデス2世(Orodes II、在位:紀元前57年 - 紀元前38年)は、アルサケス朝パルティアの王。ミトラダテス2世の死以来パルティアで使われなくなっていた諸王の王(ギリシア語でバシレウス・バシレオン)という称号を再び使用した。

2009年04月09日

非一貫性/意識の二重性

レゲエはジャマイカの不良の音楽でもあり、ルードボーイ(rude boy)、ラガマフィン(raggamuffin)、ギャングスタ(gangsta、gangster)、バッドマン(bad man)など不良を意味する語が(多くは不良たちの暴力をいさめる形で)しばしば歌詞に現れる。ルードボーイとラスタは必ずしも対立する概念ではなく、実際には多くのアーティストがルードボーイであり同時にラスタでもあるが、そのような非一貫性はレゲエの歌詞に頻出する主題の一つである。

例えばジミー・クリフの楽曲『ザ・ハーダー・ゼイ・カム(The Harder They Come)』では、曲の前半で生ある内の救済を希求しながら、後半ではむしろ死による救済を願う内容になっている[24]。また、ボブ・マーリーはあらゆる人種間の平和を願う『ワン・ラブ(One Love)』と同じ黒人であってもラスタファリアンでないものを非難する『クレイジー・ボールド・ヘッド(Crazy Bold Head)』という相反する内容の楽曲を発表している。

しかしながら、ブラック・ディアスポラと植民地時代の奴隷経験によって培われたこの非一貫性、二重性は必ずしもジャマイカ人の中で矛盾として受け取られておらず、レゲエの歌詞の大きな特徴となっている。

サウンド・チューン [編集]
後述するように、ジャマイカの音楽はサウンドシステムでダブ・プレートというそのサウンドシステム独自のレコードをかけ、互いに競い合う文化がある。そのため自分のサウンドを称えたり、相手のサウンドをけなしたりする曲が古くはレゲエ以前の時代からリリースされていた。そのような曲のことを「サウンドチューン(Sound Tune)」「サウンドアンセム(Sound Anthem)」と呼ぶ。

記録に残っている最古のサウンドチューンの一つは1951年、アメリカ合衆国のリズムアンドブルースグループ、ウィリス・ジャクソンと彼のオーケストラがリリースした『レイター・フォー・ザ・ゲイター(Later For The 'Gator)』である。コクソン・ドッドのサウンドシステム、ダウンビートは同楽曲を『コクソン・ホップ(Coxsone Hop)』と勝手に改名した上で島内で独占的にプレイし、1950年代の間人気を博していた。

レゲエの歴史 [編集]

レゲエ以前 [編集]
レゲエ誕生以前のジャマイカではカリブ地域の伝統音楽であるメント、カリプソやアメリカ合衆国のリズムアンドブルース、ジャズ、ビーバップが親しまれていた。[27]

サウンドシステムの誕生 [編集]

ジャマイカではDJが前述のような音楽をサウンドシステム(Sound system)と呼ばれる、移動式で巨大なスピーカーを積み上げた音響施設でプレイし、楽むことが1940年代以降ポピュラーになっていった。サウンドシステムは当時のキングストンの人々にとって娯楽の中心であり、出会いの場であり、情報交換の場であり、商売の場でもあった[29]。

1950年代に入ると後述するようにキングストン市内にもレコーディングスタジオが開設されはじめる。以後ジャマイカ産のR&Bやジャズをプレイできるようになった各サウンドシステムはダブ・プレートと呼ばれる独自のレコードを量産し、互いに激しく競い合うようになった。特にデューク・リードの「トロージャン(Trojan)」、コクソン・ドッドの「サー・コクソンズ・ダウンビート(Sir Coxsone's Downbeat)」はライバルとして1960年代?1970年代のジャマイカ音楽を牽引する存在となった。[30]

これらのサウンドシステムとそこに集まる観衆の音楽的嗜好は、スカ誕生からダンスホールレゲエ全盛期に亘る全てのジャマイカ音楽の変遷、流行に影響を与えている。また、その後サウンドシステム文化は移民によってイギリス、アメリカをはじめ海外にも持ち込まれていった。1967年にニューヨーク、ブロンクス区へ移住したクール・ハークは当地で「ハーキュローズ」というサウンドシステムを立ち上げ、ヒップホップ音楽の誕生に大きな影響を与えた。[31]

レコーディングスタジオの開設 [編集]
1951年にスタンレー・モッタ(Stanley Motta)がジャマイカ国内初のレコーディングスタジオ「MRS(Motta's Recording Studio)」を[32] 、1957年にはケン・クーリ(Ken Khouri)が後に「タフ・ゴング・スタジオ」となる「フェデラル・レコーディング・スタジオ(Federal Recording Studio)」を設立した[33]。デューク・リードは1959年に「トレジャー・アイル(Treasure Isle)」を[34]、コクソン・ドッドは1963年に「スタジオ・ワン」を設立[27]、その後ジャマイカには次々と新しいスタジオが誕生していった。

ラジオ局の開局 [編集]
1939年、ハム技師ジョン・グライナンは政府の認可を受けジャマイカ初のラジオ放送局VP5PZを開局した。VP5PZは第二次世界大戦勃発を受け、戦時放送局ZQIへと引き継がれた。終戦後、政府は民営放送を認可し1950年にはJBC(Jamaica Broadcasting Company)[35][36]が、1951年にはRJR(Radio Jamaica and the Re-diffusion Network)[37]が開局した。[38]しかしながら、レゲエを中心に放送するラジオ局は1990年のIRIE FMの開局を待たねばならなかった。[39]

ジャマイカ独立-スカの誕生 [編集]
1959年ジャマイカは英連邦王国において完全自治権を獲得。さらに1962年には独立を果たす。この頃からジャマイカのミュージシャンは独自の音楽を作り出すことを模索していった。そうした中で生まれたのがスカである。スカは、ジャズやリズム・アンド・ブルースなどのアメリカ合衆国の音楽や、カリプソ、メント等のカリブ海の音楽に影響を受け誕生した。1小節の2拍目と4拍目にアクセントを置く裏打ちのリズムが特徴である。1959年、ヒッグス・アンド・ウィルソンの『マニー・オー』は2万5千枚を超えるヒットを記録し[40] 、プリンス・バスターがプロデュースした『オー・キャロライナ』はカウント・オジーによるナイヤビンギを取り入れ、ラスタの精神性をジャマイカ音楽に反映させた最初の曲となった
中国系ジャマイカ人バイロン・リーは1962年公開の映画『007 ドクター・ノオ』に出演し、スカをジャマイカの上流階級や海外に紹介する役割を担った[42]。 1964年、ジャマイカ国内ではドン・ドラモンド、ジャッキー・ミットゥらによってスカタライツが結成され[43]、国外に目を向けるとジャマイカ人女性シンガー、ミリー・スモールの歌った『マイ・ボーイ・ロリポップ』が全世界で600万枚を売り上げ[44] スカ人気は頂点に達する。しかしスカ人気は短命に終わり、1966年後半にはより抑制の効いた新しいリズムに取って代わられることになった

ブリザード キング スイート アクター タッパー フリーズ 国道日 コピー ノルウェー ケーワイ スラック コスト ナース デビル スレンダ スパナ てらつつき ジェイ メラノーマ オーイー フォトグ クラッチ テリト キンシバイ ムラサキ オブジェク フィニ スベリン ビーズ ピュア カナッペ プレーグ すりはく ベスビア レーム ひっす フライ スタート ション パルメ メション ヘルプ ハイブ ロスカット イカーゴ フロー マグノリ 小夜時雨 サモエード ナビテラ

2009年03月25日

1900系新造車グループに準じた2扉18m級車

本系列は、1900系新造車グループに準じた2扉18m級車である。

窓配置は先頭車がd1(1)D9D(1)2、中間車が2(1)D10D(1)2(d:乗務員室扉、D:客用扉、(1):戸袋窓)となっており、先頭車と中間車の扉間窓数が異なっている。このため、一部号車の停車時の扉位置が7連編成と6連編成で微妙に異なっていた。また、各車の車端部にある窓各1枚は幅が他より狭く座席も固定式となっており、車端部の連結面には窓が設けられておらず、車内のこの部分には名画の複製が掲げられていた。

側窓は冷房搭載を受けて上段上昇・下段固定式の2段式とされ、下段固定により1900系にあった保護棒は省略され、すっきりした印象となった。なお、車体中央部に位置する種別表示幕直下の上昇窓については表示幕と干渉するため、固定窓とされている。

車体断面は、クロスシートの座席幅および通路幅を確保すべく2000系などと同様に裾絞りを入れて即窓周辺での車体幅の拡幅を実現しているが、同系列などと比較してそのカーブは緩く、車体上部の内側への傾斜もない。

前面デザインは、1900系に取り付けられていたバンパーを廃し、左右の前面窓を曲面ガラスとしている。また、貫通幌は扉および幌枠取り付け部を一段奥に引き込んだ半埋め込み式としてあり、幌自体も従来の吊り幌から2200系以降の新造車に採用された成田式リコ型と呼ばれる幌吊りを内蔵した新型に変更されている。

京阪特急車のシンボルとも言える前面の鳩マークは電照式のものが固定装備され、回送時や急行などの運用に充当される際には車体と同色に塗り分けられた目隠し板をはめて運行されていた。

前照灯は2灯式であるが、2400系と同様のシールドビームで、照度のアップと灯具の小型化が実現している。また、標識灯は5000系(1971年製以降)と共通の角形2灯式のユニットが前面下部の左右に振り分けて取り付けられている。

座席はシートピッチ900mmの転換クロスシート[15]とされ、電動車については車端部にロングシートがあった1900系と異なり、オールクロスシート化が実現した。

座席には縦縞入りエンジ色モケットが張られた東京リクライニング社製転換クロスシートが採用され、両端駅での座席方向転換作業を簡略化すべく、新開発の空気圧駆動による自動転換装置を内蔵した。

冷房装置は冷凍能力8500kcal/hの三菱電機(以下、三菱)CU-13集約分散式ユニットクーラーが各車に4基ずつ搭載されており、天井部の風洞を介して冷風が供給されるが、停車駅数の少ない特急専用車であったため、ラインフローファンなどの補助送風ファンの搭載は省略された。

主要機器 [編集]

電装品 [編集]
例外的に三菱製主電動機や駆動装置(WNドライブ)が併用された1800系から1900系までの歴代特急車と異なり、京阪電車の伝統に従って電装品は東洋電機製造(以下、東洋)製で統一されている。

主電動機の定格出力が小さかったために限りなく全電動車方式に近い編成とならざるを得なかった在来車に対し、従来の倍近い大出力モーターの採用でMT比が2:1あるいは4:3と経済的な編成が組めるようになった。さらに、かつて京津線で運用されていた50形以来の京阪のお家芸である直流複巻電動機による定速度制御機構が導入されたのが大きな特徴である。

また、将来の架線電圧の1500Vへの昇圧の方針が定められてから登場したため、機器構成もそれに備えて600Vと1500Vの2つの電圧を切り替えて使用可能な仕様となっている点も特徴の一つである。

主電動機としてはTDK-8160-A(端子電圧375V、定格電流515A、分巻界磁電流53A、出力175kW、定格回転数2,130rpm)が搭載され、600V時代には端子電圧300V時定格出力140kWを発揮した。これは昇圧後の定格出力が示す通り、通常型電車用直流複巻式整流子電動機としては極限に近い大きな磁気容量を備える強力なモーター[16]で、1900系が採用していた75kW級のTDK-809A・MB-3005Dと比較しておよそ倍の出力[17]を実現している。

この電動機は京阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)京都線や国鉄東海道本線といった競合線区に対抗するに充分な走行性能を得るために採用されたものであり、本系列の廃車後も後継形式である8000系の8004F以降の電動車に再利用されている。

もっとも、600V時代にはこれでも複々線区間で高速運転する際にはやや出力不足気味であり、すでに1900系末期の段階で7連化が始まっていたにもかかわらず3600形の新造がラッシュ時に必要最小限の両数に抑えられ、あるいは電装準備工事が行われていた一因はここにあった。

なお、駆動装置は中空軸たわみ板継手式カルダン式で、ギア比は84:16=5.25である。

制御器は東洋ACDF-H4175-587Aで、分巻界磁位相制御方式による定速度制御機能を備えている。これはマスコン側の指令により65km/h以上の速度域において5km/h刻みで一定速度での走行を可能とするものであり、速度が低下した場合には力行ノッチが自動進段し、3km/hまでの範囲で速度が超過した場合には回生制動が、さらにこれを越えて超過した場合には電制が自動的に動作するという、発電・回生ブレーキと連動した機構となっていた。

ただし、本系列の制御器に備えられた回生制動機能はこの定速度制御機能でのみ利用可能、つまり主制御器内で完結した機構であって空制系とは直接連動していなかった。

本系列は昇圧準備車として設計されたため、制御器は1C4M制御で、それでいて回路的に独立した電動車2両が隣接するように組成されており、昇圧工事の際には単車昇圧のみならず親子方式の昇圧も選択可能なように考慮されていた。

実際には、主電動機を2個2群で直並列つなぎ(2P2S接続)してあったものを各モーターを4個永久直列(4S接続)として単車昇圧されており、電動車を隣接させるメリットは特になかったことになる。なお、この時の抵抗制御段数は永久直列16段、発電制動11段であった。

この制御器は1995年の残存編成に対する更新工事に際して交換が実施され、8000系と共通の1C8M制御器であるACRF-H8175-792Aに変更されて集約化が図られており、ここに初めて電動車を隣接させる必然性が生じている。これは6000系に搭載されたACRF-H8155-785Aの発展型であり、旧制御器同様に分巻界磁位相制御方式による定速度制御機能を備えているが、「+」(力行)・「-」(制動)・「N」(定速度維持)の3ポジション指示によって45km/h以上の速度域において1km/h刻みで定速度指令可能、とその操作性が大幅に改善されているので、これにより運転の容易化が図られている。

パンタグラフは、冷房装置搭載スペースを確保するために下枠交差式の東洋PT-4805Aが採用され、3000形および3100形の京都寄りに各1基搭載されている。

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2009年03月09日

序曲「わが家」 (Domov můj) 作品62a、B.125a

本来はフランティシェク・フェルディナンド・シャンベルクの芝居『ヨゼフ・カイエターン・ティル』の劇音楽として作曲された10曲の中の1曲であるが、現在ではこの序曲以外が演奏されることはほとんどない。ヨゼフ・カイエターン・ティルは、チェコの近代演劇を確立した実在の人物(1808-1856)。晩年は独立運動に荷担した罪を問われ、旅役者として極貧のうちに亡くなった。モーツァルトの歌劇『ドン・ジョヴァンニ』が初演されたことで知られるティル劇場は、彼の名に由来する。
タイトルは、上記の芝居とは関係がなく、第1主題が「わが家の庭先では」という民謡から採られていることに由来する。したがって、この曲のタイトルはしばしば「わが故郷」と訳されるが、「わが家」がより適切な訳である。
初演は1882年2月3日、ティルの誕生日に行われた公演で、指揮はアドルフ・チェフが執った。
劇的序曲「フス教徒」 (Hustiská dramatická ouvertura) 作品67、B.132
フス教徒(フス派)とは、15世紀初めのチェコの宗教改革家ヤン・フスを支持した者たちのことで、フスの死(1415年)以降はさらに勢いを増し、十字軍を退け、1420年から1434年までの短い期間ではあったが民主主義政権を成立させたりもした。チェコ国民劇場の総裁フランティシェク・アドルフ・シュベルトはフス教徒時代を主題とした三部から成る演劇を企画し、その音楽として依頼に応えて作曲されたのがこの作品である。この作品には2つの有名な旋律が用いられている。1つはスメタナの『わが祖国』の第5曲、第6曲でも用いられているコラール『汝ら神の戦士達』で、これはフス教徒時代のターボル派の僧によって作曲された軍歌であるとされている。もう一つはチェコ民族の守護聖人ヴァーツラフ1世を讃える12〜13世紀に創られたコラールである。これらが明らかに示しているとおり、この作品は、フス教徒に祖国独立運動の願いを仮託した愛国主義的作品である。
初演は1883年11月18日モジツ・アンゲル指揮、プラハの国民劇場管弦楽団により演奏された。
序曲「自然の中で」 (V přírodě) 作品91、B.168
序曲「謝肉祭」 (Karneval) 作品92、B.169
序曲「オセロ」 (Othello) 作品93、B.170
この3作は、まとめて序曲三部作「自然と人生と愛」を形成する。時に組曲と呼ばれるが、実際の演奏会では3曲連続で演奏されることは稀で、演奏頻度は「謝肉祭」が圧倒的に高い。作曲は1891年3月から1892年1月にかけて続けてなされた。初演は1892年4月28日、プラハにおいて作曲者の指揮、国民劇場管弦楽団により行われた。「オセロ」作曲後もタイトルを「悲劇的」にしようか「エロイカ」にしようかと出版社のジムロックに相談していることからも判るように、これらは決して標題音楽ではなく、各曲がそれぞれ漠然と自然、人生、愛に対応しているに過ぎない。
なお、第1曲の題名は英語訳からの重訳で「自然の王国で」とされることもあるが、原題からの直訳では「自然の中で」とするのが適切である。

交響詩
ドヴォルザークは、チェコの国民的な詩人カレル・ヤロミール・エルベンの「花束」という詩集の中のバラードにインスピレーションを得て4曲の交響詩を1896年に立て続けに作曲している。また、翌1897年にはエルベンの詩から離れ、特定のストーリーを持たない「英雄の歌」を作曲しているが、この作品の演奏機会はエルベンによる4作に比べかなり低い。

「水の精」 (Vodník) 作品107、B.195
1896年1月から2月に作曲された。1896年6月3日プラハにてアントニン・ベンネヴィツの指揮により初演された。
ある娘が親の反対を押し切り、水界の王と結婚し、子供をもうけた。ある日、人間の歌を歌って子供あやしていると王にひどく叱られた。妃は里帰りさせてほしいと懇願して許され、親許に帰るが、母親は娘を水王のところへ戻そうとしない。妃が約束の時間までに帰らないので実家の前まで来た水王は怒って嵐を起こす。その最中に大きな物音がしたので娘が戸を開けてみると、我が子が首を切られて捨てられていた。
「真昼の魔女」 (Polednice) 作品108、B.196
1896年1月11日から2月27日の間に作曲され、初演は1896年11月21日ヘンリー・ウッドの指揮によりロンドンで行われた。
物語は、魔女が自分の悪口を言った母親に復讐するために子供を殺すという話。クラリネットで演奏される「子供の主題」とヴァイオリンで演奏される「母親の叱責の主題」が展開・変奏されて行き、それぞれ「魔女の主題」、「魔女の踊り」へと変容してゆく構成になっている。
レオシュ・ヤナーチェクはこの作品を大変に気に入っており、絶賛する評論を書いている。
「金の紡ぎ車」 (Zlatý kolovrat) 作品109、B.197
1896年1月15日から4月25日に作曲。1896年11月21日にロンドンで初演された。エルベンの詩による4曲の交響詩の中では最も長く、冗長との批判もある。このため、ヨゼフ・スークにより改訂されたこともある。
ドルニチュカという娘が森の奥の小屋で継母とその実の娘と一緒に住んでいた。狩にやってきた若い王に水を差しだし見初められたドルニチュカは、城に向かう途中、継母らの計略で殺され、その遺骸は森に捨てられる。しかし魔法使いが現れ、再び生き返らせる。魔法使いはドルニチュカに替わって王妃となった継母の娘に金の紡ぎ車を贈る。戦場から戻った王がその糸車で糸を紡ぐように命じ、王妃がそれを回すと、糸車が継母達の悪行を歌う。王はその歌に従って森へ駆けつけ、ドルニチュカと再会して、彼女と結ばれる。
「野ばと」 (Holoubek) 作品110、B.198
1896年10月22日から11月18日の作曲。1898年3月20日、ブルノでレオシュ・ヤナーチェクの指揮により初演された。
物語は、夫の死を嘆く若い未亡人から始まるが、その涙は偽りの涙であると語る。やがて若い美形の男が未亡人に近づき、2人は結婚する。亡くなった先夫の墓の上に樫の木が生え、野鳩が巣を作り、悲しげな声で鳴く。妻はその声を聞き、発狂して自殺してしまう。先夫は彼女が毒殺したのであった。音楽はこの物語を忠実になぞり、葬送の音楽から始まり、若い男と出会う未亡人の心のざわめき、結婚の祝宴、悲しげな野鳩の鳴き声を描き出し、最後は妻の罪を赦すかのように穏やかな長調で終わる。すべての主要主題が最初の1つの動機から導き出され多彩な変容を遂げる技巧的な構成であり、そのために高い緊張感と引き締まった構成をみせる傑作で、ドヴォルザークの交響詩の中で最も演奏頻度の高い作品である。
「英雄の歌」 (Píseň bohatýrská) 作品111、B.199
1897年作曲、1898年12月4日、ウィーンにてグスタフ・マーラーの指揮により初演。

セレナード
ドヴォルザークはセレナードを、いずれも30代の時期に2曲作曲しているが、楽器編成が異なっており、それぞれ「弦楽セレナード」「管楽セレナード」と呼ばれる。

セレナード ホ長調 作品22、B.52
弦楽合奏のためのセレナード。1875年5月3日から14日までの10日あまりで作曲されている。オーストリア政府からの奨学金が決まり、2年前に結婚した妻との安定した生活が保障された幸福な時期の作品で、穏やかな愛情に満ちた作品となっている。1876年12月10日にプラハの国民劇場管弦楽団員および合唱団員の年金基金募集のための演奏会で初演された。指揮はアドルフ・チェフが執った。
モデラートの三部形式の第1楽章、メヌエットの第2楽章、スケルツォの第3楽章、ラルゲットの第4楽章、アレグロ・ヴィヴァーチェのロンド・ソナタ形式の第5楽章からなる。いずれの楽章もカノンの模倣効果によってしなやかな叙情を描くことに成功している。
セレナード ニ短調 作品44、B.77
管楽アンサンブルのためのセレナード。1878年、『スラヴ舞曲』第1集と同時期の作品で、民俗音楽の要素をセレナードの形式に見事に融合させた作品となっている。1878年11月17日にドヴォルザーク自身の指揮によりプラハで開催された自作発表演奏会で初演された。
第1楽章 モデラート・クアジ・マルチャ(行進曲)、第2楽章 メヌエット、第3楽章 アンダンテ・コン・モート、第4楽章 アレグロ・モルトのロンドの4つの楽章からなる。

スラヴ舞曲
スラヴ舞曲 第1集 作品46、B.83 (4手ピアノ版はB.78)
【1. ハ長調 / 2. ホ短調 / 3. 変イ長調 / 4. ヘ長調 / 5. イ長調 / 6. ニ長調 / 7. ハ短調 / 8. ト短調】
1878年、出版社ジムロックからの要請で作曲されて大成功を収め、ドヴォルザークを当時の音楽界の中心へと押し上げる契機となった作品である。最初、4手のピアノ作品として作曲、出版されたが、出版と同時に大人気となり、ただちに管弦楽版の出版が決まった。管弦楽版の初演は1878年5月16日に第1、3、4番の3曲がアドルフ・チェフの指揮で行われている。
スラヴ舞曲 第2集 作品72、B.147 (4手ピアノ版はB.145)
【1. ロ長調 / 2. ホ短調 / 3. ヘ長調 / 4. 変ニ長調 /5. 変ロ短調 / 6. 変ロ長調 / 7. ハ長調 / 8. 変イ長調】ただし、番号は第1集からの通し番号で、9番から16番で呼ばれる場合もある。
第1集の大成功から、ジムロックは第2集の作曲をドヴォルザークに依頼したが、彼はこの頃大作の作曲に取りかかっており、同じ形式の小曲をさらに8曲作曲することに興味が持てずにいた。しかし、8年後の1886年6月、突然この作品集に取りかかると、1ヶ月後の7月には4手ピアノによる作品8曲を完成させた。管弦楽編曲は1886年11月から87年1月にかけて行われ、87年1月6日、作曲者自身が指揮を執りプラハで第1、2、7番の初演を行っている。
第1集に比べ、チェコ特有の音楽が抑えられ、汎スラブ的色彩の強い作品集となっているのが特徴である。
フラッド キャロ メッカ 輝きの季節 テアーゼ 上位シーン 枕千鳥 フェラテ マドラス ロマン カーボン ランク ソーホー タンプ パーティー タック ルトップ ハバナ スプレッ エンド オキサ スフマート らくだいろ ブタン カゲル キタス スタジャン ランチ シーネ ネッキ アビリテ オルガス ばなな みなせ クローバー キジムシ ガマ対策 モンテ ローコード コック ツァボラ メーター ごぼう ピギー ランナー エルシー こもづの チャド かてい ブルジュド

その他
交響的変奏曲 作品78、B.70
1877年に作曲された作品で、ブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」の影響が指摘される作品。しかし、その変奏曲は民俗色の豊かな作品で、多彩な変奏技法が凝らされたドヴォルザークの変奏曲中最も優れた作品である。初演は、1877年12月2日、ルデヴィート・プロハースカの指揮により行われた。
3つのスラヴ狂詩曲 作品45、B.86
【1. ニ長調 / 2. ト短調 / 3. 変イ長調】
1878年の作品。いずれも民謡風の素材を活かした舞曲風の作品である。特に第3番が有名であるが、これは指揮者ハンス・リヒターが好んで採り上げ、ヨーロッパ各地で演奏した事による。
チェコ組曲 ニ長調 作品39、B.93
伝説曲 (Legendy) 作品59、B.122
全10曲【1. ニ短調 / 2. ト長調 / 3. ト短調 / 4. ハ長調 / 5. 変イ長調 / 6. 嬰ハ短調 / 7. イ長調 / 8. ヘ長調 / 9. ニ長調 / 10. 変ロ短調】
交響曲第6番の完成直後、1881年初めに作曲された4手ピアノ用作品 (B.117) を同じ年に管弦楽用に編曲したもの。原曲はエドゥアルト・ハンスリックに献呈された。各曲に特別な伝説や詩物語があるわけではない。4手ピアノの作品としては、2つの「スラヴ舞曲集」の間に書かれている作品であることから、「スラヴ舞曲」で描ききれなかったスラヴ的なもの、メランコリックな気分や神秘的なものへの傾斜、深い情念の世界を描きだし、舞曲集を補完するものと位置づけられている。
スケルツォ・カプリチオーソ 作品66、B.131
1883年4月から5月にかけて作曲された作品で、1883年5月16日にアドルフ・チェフ指揮の国民劇場管弦楽団により初演された。指揮者アルトゥール・ニキシュが賞賛し、演奏会でたびたび採り上げ、有名となった。
アメリカ組曲 イ長調 作品98B、B.190
弦楽のための夜想曲 ロ長調 作品40、B.47

2009年02月21日

タキオン

タキオン(tachyon、ギリシャ語のταχύς「速い」の意より)は、超光速で動くと仮定されている粒子。1960年代、アメリカの物理学者ジェラルド・ファインバーグによって提唱された。SF作家が作品中で超光速通信の手段として用いたり、タキオングッズとして疑似科学の世界で引かれたりもする。

タキオンに対して静止質量0で真空中を光速で運動する粒子をルクソン(luxon)(タキオンとの混同からかルクシオンとも)、正の実数の静止質量を持ちどんなに加速しても真空中の光速には達しない粒子をターディオン/タージオン(tardyon)と呼ぶ。
オーチャド ライカ フリー カクタス とかく の波 くつわむし ウォーム 聖護院かぶ デッドラ ジッダ プチ フェイク カプジ ビドム ニウム ぽぽー タンメン チエンマ かなぎ オファー アパシー スコープ ネバー ウーマンレディー イースター トーキー シュリ なっぷる 愛燦燦 マース マズルカ オシレ ラミンゴ バンス チーズバ スナイ サラセニ グリーン 夜長鳥 アバウト プレース バイアス デカダンス フラクタル シーケ イヌビユ パートナ 新秋柿 ノッキング

特殊相対性理論の教えるところによれば、通常の物質(ターディオン)はどんなに加速しても光速に達することはない。そのため、特殊相対性理論に反しないように仮定された超光速粒子タキオンは、以下のようなターディオンとは正反対の性質を持つ。

ターディオンはどんなに加速しても光速を越えることはないが、タキオンはどんなに減速しても常に超光速であり光速以下になることはない。また、ターディオンがエネルギーを与えれば与えるほど加速していくのに対して、タキオンはエネルギーを失えば失うほど加速していく。

タキオンのエネルギーと運動量は測定可能な物理量なので実数であることが期待されるが、上記の場合、静止質量は虚数となる。

さらに、タキオンの固有時もまた、虚数である。

超光速で動くため、チェレンコフ放射によってその存在が確認できるのではないかと考えられ、様々な人が何度も検出を試みたが、依然成功していない。タキオンが存在し、ターディオンと作用を及ぼしあうなら、因果律が破られてしまうか、あるいは、因果関係が観測者によって異なってしまう。そのため、ターディオンとは干渉せず、存在したとしても発見は不可能ではないかとも考えられている。またタキオンは計算上は理論に反しなくても最低エネルギー状態が無限速であるなどの面から不安定解であるため、素粒子論においてはタキオンも含むような素粒子表を導出する理論は誤りであると見なされている。

1974年3月8日に、ロンドン発の外電が「オーストラリアの物理学者によって、タキオンの存在を示唆する実験結果が検出された」と報じたが、これは間違いであったと考えられている。

近年、「タキオンを含んでいる」と称する商品が販売されているが、前述のようにタキオンは理論的に光速度以下には成れない存在であるから、タキオンを光速度以下の何かに閉じ込めたり含有させたりする事は不可能であると言える。

タキオンによる架空技術の登場する作品
宇宙戦艦ヤマト - 主要武器「艦首波動砲」、機関「波動エンジン」
スタートレック - 一つの例として、ワープ航行の痕跡で時間と共に消滅。
大長編ドラえもん のび太と銀河超特急 - 「ヤドリ」の戦艦による望遠システム「タキオン波画像サーチ」
ドラえもん - タイムふろしきの内部の「タキオン織りこみゾーン」から「タキオンエネルギー」を放出。
恐竜戦隊コセイドン - コセイドン号の主機関「タキオンエンジン」
グロイザーX - 主要武器「タキオン光弾」「タキオンソニック」、機関「タキオンエンジン」
仮面ライダーカブト - タキオン粒子
新・無責任艦長タイラー - 主要武器「ラアルゴン帝国、旗艦「メルバ」アザリン砲」
無責任提督タイラー - 主要武器「惑星連合宇宙軍無人戦艦「信濃」無限粒子砲」
ゾイド - エナジーライガー
斬魔大聖デモンベイン - 計測機器「タキオンカウンター」
ジーンダイバー - 「タキオンビーム」
タキオン・モード - 携帯電話のモードで電波にタキオンを使用した「タキオンモード」
ウルトラセブン1999最終章6部作 - タキオン粒子
手天童子 - 物質を過去に送るタイムマシンで使用。
宇宙をかける少女 -賞金首アレイダの武器「タキオンソード」

2009年02月05日

キング (龍虎の拳)

初代『龍虎の拳』(以下『龍虎』と表記)にて初登場。女性だが性別を偽り、レストラン「ラ・モール」でバウンサー(用心棒)をしていた男装の麗人。しかしユリの行方を探すリョウ、ロバートに敗れる。その後、用心棒から足を洗ったが、足の不自由な弟・ジャンの治療費を稼ぐため、格闘大会に参加した(『龍虎の拳2』)。「キング」という名前は偽名だが、女性であることを明かした後も「キング」と呼ばれており、本名はいまだに明かされていない(弟のジャンは知っていると思われるが、彼女の本名を呼ぶ場面はない)。
ハンド パーム ドシア バンス ソルト オース サイバ レスト ソナー プラハ デイする 未来の喜び 足跡 せきりん シーツ 金乃竹 ブルーロー ダンエス サイエン パネル 風の華 ファイア レーション フレット リファレンス マルチーズ キールサエ ヤグルマ草 平核無柿 バイバイ オースチン はそく トウヒ ラスト フレーク ヒストリー デコル かおう 百の城 イヤー ケイブ ならたけ ワインリス ユーロス 沖の石 クイック たてじま なみがさね 汽車ポッポ モノローグ

『ザ・キング・オブ・ファイターズ 』(以下『KOF』と表記)シリーズではイギリスに渡り、バー「イリュージョン」を開店する。このバーは女性格闘家チームの結成の場となった。彼女自身も女性格闘家チームとして出場することが多く、設定年齢上リーダー(まとめ役)を勤める事が多い。なおイギリスの「イリュージョン」は支店(サウスタウンにもある)であるらしく、本店がどこにあるかは不明。サリー&エリザベスという双子姉妹をウェイトレスとして雇っている。この2人は『KOF'95』(以下『'95』と表記)で女性格闘家チームのステージの背景キャラとして初登場して、『KOF'96』(以下『'96』と表記)以降は2人の服装と髪型が別々のものになっている。

『KOF』シリーズでは、リョウとの関係は「友達以上恋人未満」な関係に描かれている。『2000』以降は周りの人間(特にタクマ)も2人をくっつけようと企んでいるが、キング本人はそういった周囲の干渉を快く思っていない。ただ、リョウを嫌っている訳ではなく、むしろ好意に近いものを抱いているが、周囲の後押しが余りに強烈なために辟易している様子。

『KOF』シリーズでは、『龍虎』シリーズからの流れであるからか、『'95』以前でも服が破れて下着が露となる「脱衣K.O.」を見ることができる。だが、『'96』以降は容量の関係により(あるいは開発の都合により)、脱衣K.O.用のグラフィックが用意されていない。また、『KOF』シリーズにおける超必殺技は「イリュージョンダンス」等、原作である『龍虎』シリーズにはない『KOF』オリジナルのものがほとんどである。

『龍虎の拳2』(以下『龍虎2』と表記)の没デザインの一つに髪をセミロングに伸ばしたキングが存在するが、彼女の髪型はゲーム本編では初代『龍虎』のショートヘアのままである。なお、真行寺たつやの漫画版『KOF'94』(以下『'94』と表記)では物語の初期にセミロングヘアのキングが登場して、後に原作ゲームと同様のショートヘアに戻している。

『CAPCOM VS. SNK』(以下『CvS』と表記)シリーズにおいては同じ格闘スタイルのサガットと対戦する場合、戦闘前に専用の演出がある。彼女自身はSNK対戦格闘ゲーム初の女性キャラクターであるが、初代『龍虎』では対人戦でしか使えないなどの理由により春麗のライバル役は不知火舞に譲った[要出典]。

ゲーム上の特徴
キングは足が長く、格闘スタイルがムエタイということもあり、華麗な蹴り技が豊富である。

技の解説
一部の技は作品によってカテゴリの違う技があるが、ここでは初出作品でのカテゴリに準拠する。

通常技
龍虎の拳2

操作 立ち(近距離) 立ち(遠距離) しゃがみ 垂直ジャンプ 前方ジャンプ 後方ジャンプ
弱パンチ 左ストレート しゃがみパンチ 飛びパンチ
強パンチ よけ肘打ち 中段パンチ しゃがみアッパー 跳びパンチ(強)
弱キック 防御前蹴り 回転蹴り しゃがみ蹴り 跳び蹴り
強キック 2段蹴り ステップキック スライディングキック 回転ひねり蹴り
アッパー アッパー
ローキック ローキック
投げ フックバスター

通常投げ
フックバスター
『龍虎2』から登場。バック転の要領で、蹴り上げの動作により、相手を後ろに放り投げる。
ホールドラッシュ
『'96』から登場。相手を捕まえると、ストレート、フック気味のアッパーと打撃を2発打ち込んで吹き飛ばす。ダウン回避は可能。なお、『KOF』シリーズでは『2003』以降の通常投げは、この技のみとなっている。

特殊技
スライディングキック
『龍虎』シリーズでは通常技のしゃがみ強キックだったが、『KOF』シリーズでは『'95』より特殊技となった。
トラップキック
『KOF'99』(以下『'99』と表記)から登場。小さく飛びながら、踵落としを決める。『KOF XI』では仕様が変わり、飛び膝蹴りからさらに追加入力で踵落としに移行するようになっている。

必殺技
ベノムストライク
飛び道具。空中での中段回し蹴りにより、足から気弾を飛ばす。初代『龍虎』では一撃で吹き飛ばすほどの威力を見せたが、『龍虎2』以降の作品では性能が若干低くされている。『KOF』シリーズでは、『'96』以降は画面端まで飛ばなくなり、『KOF2003』からは軌道位置の違う2つの「ベノムストライク」に変更される(以下を参照)。『CvS』シリーズでは春日野さくらから「蹴りでも波動拳が出せる」と関心されている。
トップベノム
『KOF2003』から登場。通常の「ベノムストライク」より軌道位置が高い。よって、地を這う飛び道具との相殺はできない。
アンダーベノム
同じく『KOF2003』から登場。こちらは通常の「ベノムストライク」より軌道位置が若干だが低い。
飛び二段蹴り
初代『龍虎』のみに登場。膝に気をまとった飛び膝蹴りで突進し、当たった相手に蹴りをもう一度叩き込む。
烈風脚
初代『龍虎』のみに登場。その場で蹴りを連発して、ハイキックで締める。
トラップショット
『龍虎2』から登場。すばやいバック転で相手を浮かせた後、浮いた相手に無数の蹴りを叩き込んで蹴り飛ばす。なお、『龍虎2』にて、気力が不足している(もしくはゼロ)の状態でこの技を入力すると遠距離立ち強キックの「ステップキック」が出るが、これは通常の遠距離立ち強キックよりも威力が高く、さらには必殺技キャンセルも可能(遠距離立ち強キックがもともと必殺技キャンセルが可能。これはこのゲーム独自のシステムを利用したもの)であるため、再びこの技でキャンセルし、連続で当てて気絶に追い込むこともできる。
トルネードキック
『龍虎2』から登場。相手を巻き込むように、軌道が高い中段の飛び回し蹴りを放つが、『龍虎2』では突進距離が短かった。『KOF』シリーズでは、『'95』までが上記の飛び回し蹴りに、追撃の形で(こちらも軌道が高い)中段の空中後ろ飛び回し蹴りが加わり、突進距離も長くなった。『'96』以降は、飛び回し蹴り・後ろ飛び回し蹴りの回数が多くなり、斜め前方に移動し攻撃する技となる。このタイプは『'99』を最後に以後は登場していない。なお、『KOF』シリーズにおける『'99』以降の作品で、『'95』まで使用されていた「トルネードキック」は、「トルネードキック'95」という技名になっていたが、『KOF2003』で元に戻った。
猛襲脚
『龍虎2』から登場。下段→中段→上段とすばやく横蹴りで蹴り上げながら、最後に後ろ上段回し蹴りを放つ。前作の「烈風脚」に近い技。最後に出す回転蹴りは、しゃがんだ相手や少し離れた相手には空振りする。『'94』や『CvS』シリーズの場合も同様のモーションである。しかし『CAPCOM VS. SNK 2』ではなぜか名前が「ミラージュキック」(後述する技と同じ)のように移動し、攻撃する技に変更された。なお『KOF』シリーズでは、『'95』にて「サプライズローズ」に取って代われ、それ以降登場しなくなったが、『'98 ULTMATE MATCH』では裏性能版に、技後に空中追撃可能な打撃投げに性能変更した形で採用されている。
ミラージュキック
『'96』から登場。ダッシュで相手に近づくと、上段回し蹴りから下段・中段・上段の横蹴りと続く。『KOF'97』(以下『'97』と表記)までは、コマンドが「ベノムストライク」と重複していたことで(正確には、レバー側の入力軌道がほぼ同じであった上に、押すボタンが同じくキックボタンであった。「ベノムストライク」のコマンドは(キャラが右向きの時)“下、右下、右+キック”で、「ミラージュキック」のコマンドは“左、左下、下、右下、右+キック”)、「ベノムストライク」を使おうとしてこの技がよく暴発した。『'98』以降は、「ミラージュキック」のコマンドのボタン側がパンチボタンに変更されたため、上記のような事態にならなくなった。
ミラージュダンス
『'99』から登場。コマンド打撃投げである。
飛び二段膝蹴り
「飛び二段蹴り」を元にした『CvS』シリーズでの技。上方向に飛び上がる対空系の技になっている。第1作と『PRO』ではEX版の技で、『2』ではガードキャンセル攻撃の動作となっている。

[編集] 超必殺技
ブラッディダンス
スーパーファミコン版の『龍虎』のみに登場した隠し必殺技(超必殺技を遥かに凌駕する威力を持つ技で、このように呼ばれていた。これは『龍虎2』でも同様)。気力を充実させた後に相手に突進、烈風脚以上の高速の蹴りを叩き込んでから、足先に気を纏ったハイキックで締める。
ダブルストライク
『龍虎2』より登場。「ベノムストライク」を2発連続で飛ばす技。「ダブルベノムストライク」という名前と呼ばれる場合がある。超必殺技なので、『龍虎2』ではダメージが極限流空手一門の「覇王翔吼拳」並みに設定されていた(連続ヒットはせず、如月影二の「流影陣」に打ち消される)。以降の作品では必殺技に格下げされた上に、性能も「ベノムストライク」同様に若干低くされている。また、『KOF』シリーズでは、『'96』では画面端まで飛ばない「ベノムストライク」を一度出した直後に画面端まで届く「ベノムストライク」を射出するもので、ふっとばし攻撃をカウンターヒットで当ててキャンセルで出すと、2発ともヒットする。『CvS』ではEX版キングの超必殺技として採用されて、さらに後に『'98 UM』での裏性能版キングの超必殺技として採用された。
サプライズローズ
『龍虎2』より登場の隠し必殺技(『餓狼伝説』シリーズで言うところの「潜在能力」に相当)。高く飛んだ後、斜めに急降下しながら相手に当たると、何度も踏み付けを繰り返す技。『KOF』シリーズでは『KOF'95』より登場したが、「ダブルストライク」同様に必殺技に格下げされていた。『KOF2001』において同シリーズ上で初めて超必殺技になった。さらに『KOF2002』ではMAX版超必殺技より格上のMAX2に昇格されて、『龍虎2』以来のガード不能技になった。『'98 UM』でも裏性能版に採用され、演出がより『龍虎2』に近いものになっている。
イリュージョンダンス
『KOF』シリーズオリジナルの突進系乱舞技。バク転で飛び退いてから飛び掛っていく(突進開始直後まで無敵時間がある)。ヒットすると、相手をロックして乱舞を見舞い、最後は「トルネードキック」で締める。『KOF2000』以降はそれまで使用していた「トルネードキック」(『'96』以降のバージョン)が削除されたのでフィニッシュが通常技の継ぎはぎになっていたが、『KOF2003』で再び「トルネードキック(『'95』までの方)」に戻った。『'96』及び『'98 UM』では弱のみバク転を行わない。
サイレントフラッシュ
『'97』から登場。『KOF』シリーズオリジナルの技。バック転蹴りから垂直上昇するサマーソルトキック。ほぼ密着で当たらないと最初のバク転蹴りしか当たらない。
サイレントスラッシュ
『KOF2003』から登場。『KOF』シリーズオリジナルの技。垂直上昇しつつ何度も回転するサマーソルトキック。
ファントムストライク
『KOF2003』から登場。リーダー超必殺技。『KOF』シリーズオリジナルの技。「ベノムストライク」を連続で打ち続ける技で、二種類あるコマンド入力により最初が「トップベノム」か「アンダーベノム」のどちらかになる。『KOF XI』では打つ回数が大幅に増えた。

2009年01月21日

バハーイー教

バハーイー教では、バハーイー暦の高尚の月(3月2日から3月20日)の間、日の出から日没までの間行われる。断食の間は完全に食物と飲み物を断ち、喫煙も禁止されている。断食は祈りの義務と共に最も重要な義務の1つであり、15歳以上の者は断食をしなければいけない。

仏教

上座部仏教
上座部仏教の僧侶は律(vinaya)に従い、正午の食事以降は物を食べない。これは断食とは考えられておらず、むしろ瞑想を補助する修行の手段である。仏教において断食は苦行であり、中道から逸脱したものとして拒絶されると一般的に考えられている。

大乗仏教
大乗仏教の僧侶は経典上は食事に関して制限されていないが、慈愛の心を育む必要から肉食を避けている。その結果として精進料理のように肉を含まない料理が生み出された。

天台宗
比叡山延暦寺で行われる修行の一つ、千日回峰行においては、堂入りと呼ばれる荒行が行われる。足かけ九日間にわたって断食・断水・断眠の中、真言を唱え続ける。命をも落としかねない荒行であり、生還しても平均して15kgは体重が落ちるという。

肉食について
なお、仏教では肉食(にくじき)を制戒していると一般的にいわれる。しかし、釈迦が最後に純陀によって供養されたスーカラマッタヴァという料理が一説には豚肉料理であったともいわれることや、釈迦在世の初期仏教で、提婆達多の分派をめぐる問題から知られるように、釈迦は肉食禁止そのものは賛成しなかった。したがって上座部の仏教徒においては「柔らかい豚肉」とする事に抵抗を感じなかったといわれる。したがって完全な肉食禁止はない。

キリスト教
キリスト教では、いくつかの宗派や教会において断食が行われている。一方、他の宗派では外部の習慣であるとして行われていない。

聖書における断食の記述
モーセは神の山にいる40日間断食をした。(出エジプト記 34章28)
ダビデは家臣ウリヤの妻バト・シェバとの間にできた息子が、姦通とウリヤを殺害した罰として神によって病気にされたとき、断食をした。それにも関わらず、息子が死ぬと断食をやめた。(サムエル記 12章15-25)
イエスは40日間荒野で断食した。(四旬節参照)

カリスマ系教会
カリスマ系教会において断食はより神に近づく探求のために実行される。週に1日か2日、定期的に実行される。ジョン・ウェスレー、チャールズ・ウェスレー、ジョージ・ホワイトフィールドが始めた、初期のメソジストのようなホーリネス運動では健康法の一種として定期的な断食を行った。
正教会

正教会では、大斎をはじめとして年に4回の断食(斎)の期間があり、暦の中で重要な位置づけにある。断食の期間は動物や魚の製品、オリーブ油(または全ての油)、ワイン、蒸留酒を断つ。

断食は耐えるものではなく、自分の不節制を認識し、他人へ施すことで神により近づくための経験である。断食によって節約したお金は地域のチャリティーや直接貧しいものへ与えられる。多くの教徒にとって祈りと施しの無い断食は役に立たない、あるいは有害であると考えられている。

末日聖徒イエス・キリスト教会
末日聖徒イエス・キリスト教会(通称はモルモン教)では断食の間は食物と飲物を完全に断つ。通常は月の初めの日曜日が断食の日に設定されており、2食を断つことが推奨されている。多くの信者は前日の土曜日の夕食から断食を開始する。断食によって節約されたお金は困っている人を助けるための断食献金として教会に寄付される。

プロテスタント教会
プロテスタント教会では、宗教改革の際に断食は外部の習慣であり個人の救済は決して得られないと批判した。

一方でアングリカン・コミュニオンと統一メソジスト教会のようないくつかのアメリカのプロテスタント宗派は2回の悔悟の季節四旬節と降臨節の一部として断食することを奨励している。

他のプロテスタントの宗派では典礼の伝統は別として、祈りと同様に重要な宗教的な行為の1つであると考える。

ローマ・カトリック教会

ローマ・カトリック教会の断食は、1日の食事を十分な量(動物の肉を含む場合もある)を1回と少量を2回(朝食と夕食)にする。食事の間で固形物を食べるのは許されていない。また、小斎の期間は動物の肉を食べない。

ヒンドゥー教
ヒンドゥー教において、断食は欠くことのできない重要な要素である。個人個人の考えと地方の慣習に基づき、異なる種類の断食がある。

エカダシ(14日間周期の月相の11日目)またはプルニマ(満月の日)のような特定の日に断食を行う。
個人の信念や信仰している神によって1週間の特定の日に断食を行う。
断食の方法はばらつきが大きい。厳密なものは前日の日没から翌日の日の出の48分後まで食物と水を断つ。それ以外に1日に1食に制限する、ある種類の食物を食べない、ある種類の食物のみを食べる等の方法がある。どの場合でも、断食期間中はヴェジタリアンでない者も含めて動物の製品(肉、卵を含む)を食べたり、触れたりしてはいけない。
キャリ プラス 百目柿 コロッケ ピロー ビリア ブルース プレイパ ライブ 二輪草 タイム ミルク とまぴ こげちゃ だいせん おおば ダブル ネービ ヨハネ ほろば リル アイアール カレンシー がいせい ハイピッ にがうり トラップ フィス マロニ 紅い橋 プロイ みぎわ フォト モールド パンク メーク トリオ カバラ ライチー ハラム ギキョウ ナビリネン げきけい ブタノール スワン ナレッジ コクシ ディン トルコ マグレブ

イスラム教

スラム教ではラマダーンの月の間、日の出から日没まで断食が行われる。断食中は食べること、飲むこと、喫煙、性交が禁止される。ラマダーンはイスラム暦の月の1つで、断食はイスラム教の信仰で最も重要な活動の1つである。

断食によってアッラーフ(神)が命じたこと行い、逆に禁止された全てから遠ざけることでタクワ(神を意識すること)を増やす。断食を行うムスリムは多くの罪から助けられ、ジャハナム(地獄)から守られる。

イスラム教の断食は単に食べ物と飲み物を断つだけではないと考えている。断食は嘘をつく、騙す、下品な話、口論、喧嘩、淫らな思考をしないことも意味する。つまり、断食中は良い振る舞いをすることになる。また、断食によって貧乏で空腹な兄弟が感じるものを感じることで連帯感を生む。その上、ラマダーンの月は寄付を行い、日没後に食事を共にする。

ラマダーン以外にも自発的な断食がある。

では様々な断食の形がある。1つの形式は翌日の夜明けまで食べ物と飲み物を断つ。別の形式では食べ物を断ち、沸騰している水は飲んでもよい。そのほかに、食べ物の種類を制限する形式もある。スパイスとして塩とコショウのみを用いて、レンズマメと味気ない食べ物だけを食べる。

ジャイナ教の教えによれば、断食によって欲望と情欲を抑えることで業を取り除く助けになる。

また断食により自発的に死に至るサンサーラという儀式がある。ジャイナ教において、サンサーラは自殺ではなく完全に知識と意図を持って行う儀式である。サンサーラの性質上、長い時間をかけて人生を振り返る時間が与えられる。自分の人生が目的を果たしたと感じた場合、誓いを立てる。サンサーラの最終的な目的は肉体の浄化と欲望を捨てることである。

ユダヤ教
ユダヤ教の断食は食べ物と水などの飲み物を完全に断つ。食べ物の匂いをかいだり、薬を飲んだり、歯を磨くことさえも禁止されている。年に6回(ヨム・キプル、ティシュアー・ベ=アーブ、ゲダリヤの断食、テベトの10日、タンムズの17日、エステルの断食)の断食を行う。

安息にすることが聖書により定められているため、ヨム・キプル以外の安息日に断食を行うことは禁止されている。

ヨム・キプルはトーラーで明確に決まっている唯一の断食の日である。ヨム・キプルは1年で最も大事な日とされている。バル・ミツワーになった男性あるいはバト・ミツワーになった女性は断食を義務として行う。ラビから許された命にかかわる重い病や出産直後の女性だけは断食を免除される。ヨム・キプルは安息日と同じように仕事を行ってはいけないという制限がある。家の外に物を運ぶ、電気を使う、料理をする、車に乗る、電話を使う、書き物をすることは禁じられている。

さらにティシュアー・ベ=アーブにも断食が行われる。ヨム・キプルとティシュアー・ベ=アーブでは男女ともに日没から次の日没まで丸一日断食が行われる。それ以外の4回の断食では日の出から日没まで断食が行われ、男性は必ず断食しなければいけないが女性は病気や弱っていて断食が困難であればラビによって免除される。

シク教
シク教では医療的な理由による断食を除き、断食を推進していない。シク教の教祖は、断食は個人に対して精神的な利益にならないとしている。シク教の教典であるグル・グラント・サーヒブでも断食や日々の儀式、自己規律は報われないとされている。そのため、多くのシク教徒はいかなる種類の断食も行ったことが無い